靖幸観察

靖幸ちゃんの私的観察

👓 潜在化と顕在化 ー天才ゆえのー

べぃべであれば、当然ご存知!と言っても過言ではないでしょう鹿野さん。べべ友さんから、彼の「幸福」レビューを教えていただいたので、今日はそのことについて。
鹿野さんは、男性の中で最も岡村靖幸を愛している人と思われる方。相当長いお付き合いの中で、幾度となく岡村さんについてレビューをされていらっしゃいます。そこには彼の岡村さんに対する愛が溢れていると同時に、愛しているが故のココロの揺れ動きも、痛いほど推察可能。しかし、例えジャーナリストとミュージシャンと言う仕事上の関係だとしても、こうして長いお付き合いができるのは、何か波長が合うところがあるのだろうし、根気強く岡村さんに関わっているところは、やっぱり鹿野さんだからなせる技だと納得させられます。

今回のレビューでは「幸福」について語っている・・ようで、実はそうではありませんでした。この2000字ほどのスペースの中に、岡村さんとの長い歴史のふりかえりのような、壮大な物語がぎゅっと込められていると拝読致しました。

 

ヨミガエリ 還と蘇

2004年、彼は「おかえり靖幸ちゃん」とレビュータイトルを「一人旅シリーズ」同様の軽いタッチで設定しています。しかし、干支が一周回った今回「還って来た」と言う単語を使っております。もちろん今の岡村さんに、12年前のような浮ついた(失礼)タイトルをつけられても、全くもってイメージにそぐわないとは思うものの、「還る」と言う文字、「宇宙飛行士帰還」「朽ちて土に還る」以外、日常的にお目にかからない単語ではないでしょうか。「還る」を辞書で調べたところ「原点に立ちかえる、根源的な状態に戻ると言った抽象的な意味合いが強い」とあります。なるほど・・。さらに「『本当の今の岡村靖幸』が蘇生した」とも述べていらっしゃいます。「蘇生!」私にとっては、日常的に用いている言葉ですが、ミスチルの曲目でも語らない限り使わないフレーズでしょう。「蘇生」とは「死亡またはそれに近い状態になった動物が、再び生命を取り戻すこと。蘇る(よみがえる)」という意味を持ちます。そうか、鹿野さんは岡村さんをCPA(cardio pulmonary arrest)だと定義づけたのね!それほど鹿野さんにとって(も)、岡村さんの時計が現実的に止まっていた期間は、長い深い時間だったということなのでしょう。

言い得て妙

「愛して、愛して、愛して止まない・・」というのは、マニュピュレーター白石さんの最高の常套句ですが、これだけ距離の近い鹿野さんが、岡村さんを「真なる自然児(=変人)」というのは誠に言い得て妙なのでしょう。私たちからは「そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない」程度の距離感を一気に縮めてくれた鹿野氏。ありがとうセンテンススプリング!並のノリで納得させていただきました。とはいえ、ここだけでは岡村さんに失礼です。岡村さんについて描かれているレビューの中で、最もよく遭遇するであろうフレーズは「天才」。過去には、自分自身でも「俺って天才」と何度も仰っていた若造であったが、50になった今、さすがにご自身では(公共的には)仰らないことにホッとしておりますw。何を持って「天才」と定義するのかは、もちろんアーティストとしてのoutcomeを指しているのですが、諸説によりますと「天才」というのは、いい時は120点、200点取れるのに、急に赤点に墜落するという特性がある様子です。つまり「常時」70点、80点が取れる優等生ではないということのよう。もちろん、常時70点80点を生み出す方が安定しているし、例えて言うならお利口さんな学級委員や公務員的な存在といったところでしょうか。一方、天才は、誰もが唸るような爆発的作品を作り出す代わりに、コンスタントではないので、結局は賭け事のような単発性となってしまって安心感がありません。一般的に商売としては、ちょっと厄介な存在とも言えるかもしれませぬ。しかーし、鹿野さんは、このバクチウチのような天才に惚れ込み、そして社長は「僕には見える」と占い師のような言葉を呟きながらも、実は入念な戦略と幅広い人脈を生かしながら、人生かけての二人三脚を続けているものと思われます。あれ?褒めてるはずなんだけど、なんか…ビバ天才😻

対抗馬不在のレース

以前UPしたフレネミーも同様、妬みや嫉妬、私利私欲の感情がものすごく強い人がいます。また、自分が優遇されていないと、他者との僅かな差異に過敏に反応する人もいますし、人を蹴落として、のし上がろうとする人もいます。メンヘラという言葉が一般化していますが、正しい診断名としてではなく「そのような振る舞いをする人」を総称しているのでしょう。日本人は勤勉で仕事漬けと揶揄されたり、最近では「格差社会」を問題にすることもありますが、実際はアメリカの方が、激しい実力の世界かつ格差社会だと聞きます。(私が大好きだったMichael J.Foxの摩天楼はバラ色にーThe Secret of My Successーが表しているように)
地位や名声を上げたい、お金持ちになりたい・・芸能界というところは、このような感情が強い印象があるのですが、鹿野さん曰く、岡村さん「過去1度もレースをしていない」だそうです。おそらく、自称天才だと自信があったことに加え、もともと周囲への興味が少ないのだと推測されます。いや、minority カテゴリーに入れられていた(と思われる)ため、競いを挑む対象者も、ほぼ居なかったのではないでしょうか(失礼w)。しかし!今や「誰もが彼の音楽とレースをやりたがらない」というのは、実力に裏打ちされたbrandingの成功を意味しているものと思われます。天才はコンスタントに80点は出さない。「真なる自然児(=変人)」であるが故に、寝食を忘れ、常時音符と戯れ、そしてストイックに追求し「10年でも20年かかってもいい」という表現になってしまうのかもしれません。そこは戦略の中に埋め込まれたマネジメントを受けているのですが・・・。少し考え方を変えてみると、もしかして優等生の80点と天才の80点は「0点」が違う可能性があるのかもしれません。つまり「天才」は、本人の言う赤点が他者の80点レベルであって、本人の80点は他者の100点レベルというような?


潜在知と顕在知

ビギナーとエキスパートの違いとしてあげられるのも、ビギナーは手順通りで全体像は見えていない一方、エキスパートは全体の状況から問題点を感じ取ったり、直感的に対処方法を選択したりすることができます。私たちの世界では、ビギナーをエキスパートに育てていくために、エキスパートの思考過程を具現化することがとても流行り、私もご他聞にもれず研究テーマとしています。「自然児(=変人)」なので、思考の論理化が難しいと鹿野さん。もちろん生まれ持った才能や能力というのが特性としてあるでしょうが、後天的に育成された「知」というものもあるはずです。プロのシェフが美味しい料理を作るのを真似ても、家庭では上手くいかないのは、何か微細な手順の違いや、塩の振り加減など何かがあるはずです。親子ほどの年の差の子たちと、仲良くされている岡村さん。それは音楽の話が通じるからという以外に、後世の育成という意味を含んではいないのでしょうか?実は、いろいろ教示されているのかもしれませんね。アーチスト的に、右脳優位なのかもしれませんが、その自分の思考や感覚の中に潜在化しているものを、少しづつ顕在化していくと、より明確に若手は育成されます。そのためには、ご自身のメタ認知力(自分自身を俯瞰する力(問題解決能力))を高めていく必要もあります。なぜ自分がその音を選択したのか、なぜ自分がここを修正しようとしたのか、エキスパートが感覚で実施しているその「なぜ」を顕在化することが、後輩育成には効果的だそうですよ。

 

 

 

 

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イトウセイコウさんより拝借(改編)

 

 

<引用参考>

帰ると還るの違い〜帰ると還るの違いを簡単解説

 

創造性を高めるには、潜在知の蓄積から情動的な刺激が重要 | BizCOLLEGE <日経BPnet>

 

👓 オシマイ