靖幸観察

靖幸ちゃんの私的観察

raraco的「幸福論」

「幸福」のおかげで、あちらこちらで「幸福論」を見かける日が続いて早3週間。このタイミングでTVにご出演されるもんだから、さらに「幸福論」は続く。

 

靖幸様の定義する幸福は「モテキ」と自信たっぷりに仰ってましたが(笑)、幸福にまつわるそれ以外のフレーズは「結婚」と「子供」。

本心からそう思っているのかいないのか、そんなことは判りませんが、先日「はっ」とするニュースが舞い込んで参りました。

 

子供を産んで育てる人生を望まない

 

mess-y.com

 

山口智子さん 靖幸様と同じお年の50歳。これからの出産は、生物学的にも難しいと思いますが、こうやって言い切るのは珍しいですよね。サイトにはいろんな方のコメントも並んでいますが、そこは読んでいないのでスルーしています。

 

実は私も、うっすらと同じ様に思ってました。それも、14歳の頃から。キッカケは、猟奇的な事件や派手な非行に走る人たちをニュースで見て、自分の子供がまっとうに育つかどうかなんてわからないと思ったからでした。

一般的に世の中は「子供を産むのが当たり前」「子供を欲しいと思うのが当たり前」という観念があるので、そんなおおっぴらに言うまでもなく、彼女の言葉は賛否両論なのでしょうね。しかし彼女は「伴侶を求めていた」ということと、それが素敵なパートナーであったことから、「とても幸せです」と仰ってます。そうかー。素敵なパートナーか・・・。私とはここが決定的に違ったんだなw

 

「結婚」は幸せなのか?

結婚という「契約」「形式」が幸せか否か。靖幸様がよく質問しているのは「同棲とは違うのか」。 うーん。難しい問題ですが、結婚を「契約」と表現してしまう私は、少なくとも「結婚=幸福」とは思っていないということでしょうかねw

「結婚が」というよりも、幸福かどうかは、結局お互いの性格のマッチングだと思うんですよね。しかも、一時的なマッチングではなく、年数を重ねても関係性が少しづつ変化していってもマッチングできるものかどうか。でもね、そんな先の事わからないんですよ。愛情が続くのは4年と言われていて、その先は同情だったり惰性だったり(決して悪い意味合いだけでなく)変化していく中で、マッチングを継続していけるか否か。

結婚という「契約」をしているから破棄するのも手続きも大変だし、親兄弟・親戚中を巻き込むからチョット立ち止まろうとか、子供がいるから考え直してみようとか。そういう抑止力は同棲よりも働くかもしれませんが、日々の生活が息苦しかったら、やっぱり嫌だから「契約破棄」に至っちゃうんですよね。

 

私は「30になる前に」って周りに急かされ結婚しましたが、凄く好きな人ではありませんでした。「結婚なんて生活だから、あまり好きだと疲れるから、好きじゃない方がいいかも」って思ってて、これが間違いだった(笑) あまり好きじゃないから、相手のことが気にならないのだけど、マッチングさせようって気にもならない。さらに、当時私は仕事が面白くなってきた頃で、「とにかく仕事したい!」って思っていたのに、先方は給料が良かったので「俺の給料だけで暮らしていけるのに、お前の仕事なんて道楽でやってるだけだ」とか言うし「子供がいて、専業主婦でいてくれるのが理想」とか言われちゃうし。もしかすると、こういう生活に憧れる女性もいると思うんですけど、やりたいことが見つかっていた私にとっては、「ああ、私かごの鳥になるために結婚したんだー」って思ったら苦しかった・・ので、結婚生活を辞めました。一番の味方であって欲しい人が、一番の敵だったというのは、結構シンドかったー!別居した時に思ったことは「深呼吸できる!」だったことを今でも覚えてます。

 

男性って離婚してもすぐ再婚する人多いんですよね。でも女性は割としない人も多いかな。なんなんでしょうね(笑)? 寂しくない?とか色々聞かれますけど、全然寂しくはないですよ。

 

「子供」の存在は幸福なのか?

多分、幸福です。みんながそう言うから。子供がいて初めて感じることや、親として勉強になることもあるっていうので、そうやって人生重ねていくことは、一般的な人としての階段でしょうし、とても幸せなんだと思います。無償の愛を捧げられるほど、唯一無二の存在って言いますもんね。多くの親は、子供のために頑張ったり、気を揉んだり、色々するわけです。

一方、子供がいないと幸福じゃないのかっていうと、そうでもないと思うんです。これ、例えば子供じゃなくて猫でもいいのかなって。猫が好きな人は「猫がいなくて不幸ではないけど、猫がいた方がより幸福よ」っていうと思うんです。子供と猫を対比するなって言われるかもしれませんが、私が子供がいた経験がないので、ピンとこないので比喩です。子供の笑顔や成長を眩しく見つめていったりすることは、至福の極みかもしれませんが、猫が膝の上にやってきて「ニャー」ってすり寄ってくる時も至福ですよ。

 

 

結局、どちらが幸福で、どちらが幸福でないかはわからない

 この話を、数日間頭の中で考えていたのですが「こういう時が幸福」っていうのはあっても、「結婚が幸福」「子供の存在が幸福」というのは難しいなっていうのが、今の私の結論です。

その大きな理由は、「別のシチュエーションを同時に生きて比較することができないから」です。「結婚している自分」と「結婚していない自分」が、同じ時間を同時に生きることはできません。また、「Aさんと結婚している自分」と「Bさんと結婚している自分」と「Cさんと結婚している自分」と「結婚してない自分」が同時に生きることもできません。Aさんとはダメだったけど、Cさんとなら幸福だからCさんの人生を選ぼうとはできないし、「結婚=幸福」か否かなんてわからないんですよ。

子どもの存在も同じで、子供がいるから楽しいことも沢山ある代わりに、子供がいるから我慢していることもある様子。その我慢が比較的苦がなくできるのが親の愛情なんでしょうし、それぐらい凄い存在が子供なんだと思います。だけど、私のように子供がいなければ、その我慢はする必要もないことだし、自由なんです(老後のことは気になるけど)。

 

 

以前、ある女性との会話の中で「嫁が働かなくても良いぐらいの男性と結婚しなさい」という表現を聞きました。おそらく、一般的にはこれが理想なのかもしれないんですけど、「仕事=生活」じゃなく「仕事=identity」って考えると、その結婚って幸せなの?って私にしたら懐疑的。しかも「誰のおかげで飯食ってんだ!」って言われたくないし「これ買って良い?」っていちいちお伺い立てて生活するなんて20代の頃から嫌だったんですよねー。石油王ぐらいだったらそんなこと聞かなくても良いのかもw

もうこうなってくると、これまでの人生をどう歩んできたかってことが割と反映しちゃいますね。会話の中に、夫と子どもの話しか出て来ない生活は、私には考えられないしね。でも、それでその人は幸せなのかもしれないから。

 

幸福論って、人それぞれなんですよ。きっと。

 

 

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